・ジョン・ダナムへの競争心
・絶えずジョンのやり方を学んでいました
・ベン・フランクリンのフランチャイズ制度に従って店を経営することで、多くのことを学ぶことができた。それは素晴らしいシステムで、店を経営するためのノウハウがきわめて効率的に組み立てられていた。それ自体が勉強だった
・ビート・イエスタデイ(昨日に勝て)という、前年と今年の営業利益や売上高を日々比較できる台帳もあった
・最初はほかによい知恵もないまま、マニュアル通りにやっていたが、すぐに自分で実験を始めた
・ハリーとの取り引きで忘れられないのは、最高の商品を仕入れたうえに、価格設定について重要な教訓を学んだことだ
・ある商品を80セントで仕入れたとして、それを1ドル20セントで売るよりも、1ドルで売るほうが3倍以上多く売れる、という原理である。1個当たりの利益は半分だが、しかし3倍売れれば総利益はずっと大きくなる。簡単な話だが、これがまさにディスカウントの神髄(しんずい)なのだ。価格を安くして販売量を増やせば、高い価格をつけるより結局は儲かる。業界の言葉でいえば、「薄利多売で儲ける」である
・事業が順調だからといって、けっして手を抜くことはしなかった。実際、私は絶えず改善するためにあれこれ工夫した
・それ以降、契約書をもっと注意深く読むようになった
・ちょうどそのころ、新聞にミネソタ州の2つの町のベン・フランクリンで、セルフサービスが開始されたという記事が出た。これは当時としてはまったく新しい売り方だった。私は一晩バスに揺られて、2つの小さな町にこれらの店を見に行った。私はそれが気に入り、さっそく、自分の店でもこのシステムを採用することにした
・私の店が競争相手と異なっていたのは、この店もまた時代を先取りして、完全なセルフサービス方式を採用していたことだ。これがその後も守られてきた、わが社の経営方針の出発点だった。絶えず新しいことに挑戦し、実験し、事業を拡大する、これがわが社の方針なのだ
・私の場合は、20年近くにわたる積み重ねがあった
・当然、新しい店を経営していくには、人手が必要だった。私には、それほど資金がなかったので、恥も外聞も捨てて、優秀な人材を求めて他の店を覗(のぞ)いて回った。これは、小売業者としてのその後の人生を通じて、私が一貫してとった方法
・私がやったことの大半は他人の模倣である
・サム・ウォルトンが他の人々と違っている点が2つある。1つは、毎朝、何かを改善しようと決心して起床すること。第二は、間違いを犯すことを恐れないことだ。彼は間違っていたとわかると、それをあっさり捨てて、すぐに軌道(きどう)を修正する
・私には回るべき場所が多すぎて、運転に時間をとられ、他のことに手が回らなくなっていた。飛行機を使ったらどうか、と思いついたのはそのためである
・1つの店で儲けた金はすべて次の店に投資する、その繰り返しだった
・店長はすべて共同出資者として採用した
・だが、そのころには、ギブソンズをはじめ他のディスカウントストアも小さな町に目を向け始めていた。小さな町の可能性に気がついたのだ。私たちは急いで多店化をする必要に迫られていた
・本格的なディスカウントストア・チェーンをつくりたかったのだ。いくつかの商品の値引きではなく、『すべての商品を値引きしたい』といっていた
・実験し、新しいことに挑戦し、小売業の現状について絶えず学び続け、業界の最先端を行くこと
・私の話したことをすべて、黄色のノートに書きつけていた
・聞いたことをすべて青い手帳に書き留めていた
ーダーを使っている」
・絶好のチャンスの多くは必要に迫られて生じてきたもの。片田舎の小さな町で、資金もなく十分な融資も受けられずに始めたために、自ら学び行動せざるを得なかったことが、わが社のその後の発展に大いに役立った
・アメリカの小さな町には、誰も思いもよらないほど多くのビジネス・チャンスが転がっている
・商品を少しでも安く売ることには徹していた